人間のように愚かなことを考える部分は―最初から欠片たりとも己には備わっていなかった。
自分には感情なんかない。喜怒哀楽のひとつたりとも―‥あるのはただ欲するままに万物を斬り殺したいという嵐のような本能だけ。
こんな人間の少年にすぎない―余りにも小さな王の中で生まれ落ちたその瞬間から今までずっと―‥ひとつの例外もなくそれだけだった。
だからどうしてこんなことをしているのか、それは自分にもわからなかった。
でもただ欲求に従うようにと―‥自分は最初からそうゆう風に出来ているのだ。
人間のように食物を食べて生きているのではない自分は―言うならば返り血を浴びて、他者の命を吸って生き永らえている。たまたま姿は宿主のそれとほとんど同じだったけれど、中身は妖とか怨霊みたいなものに近い。それを悲しむような心すら自分には無かったし、考えたこともないといった方が正しかった。
「はッ、ぁ―‥」
虚ろな瞳が自分を見上げる。
自分の方が霊力は強いのだから、眠っている一護の精神をこちらに引き摺り込むことは雑作もなかったし、戦っても手加減しなければ自分が勝つのだから―鎖に繋いで欲するままに犯してしまうことも簡単だった。
そんなに手荒にしたつもりはないが(と言っても比べようがないから本当にそうかは知らない)、一護といえど所詮は人間という名の生きものである以上―こんなに長いこと霊力の塊みたいな自分に付き合えばどうなるのか―勿論わかっているし、相手も同じだろう。
まぁ、たとえこのまま死なれたって開放してやるつもりは微塵もなかった。
自分はこの少年の内側から生まれたせいだか知らないけれど―とにかくその欲は戦闘本能よりも更に強く自分を駆り立てて―その欲に従うことだけが自分の存在価値のように思えた。
「いいコト教えてやろうか、一護。このままおまえの精神がずーっとコッチ側にいたらな、現実のてめーのカラダは保たねーんだよ。誰にも判んないまんま死んじゃうの。ま、こんなトコで俺にヤられてるなんててめーは知られたくないだろーからそれでもいいだろ?」
「でも…俺…が死んだら…おまえ、も…」
一護は質問には答えないで、途切れ途切れの微かな声でそんなことを言った。
宿主である一護の死はイコール自分の消滅を意味する―もちろん、知らないわけではない。
「俺は生きものじゃねーんだ。もとから生に執着なんかねぇよ」
「そ、か…」
一護は、ちょっと笑った。
「?なに笑ってんだよ、もうおかしくなったのか?」
もちろん自分だって何もわざわざ死にたいわけではない―ただ、この宿主をあちらの世界に帰すくらいなら―こうやって気が済むまで犯していたぶって―このままここで殺してしまった方がマシに思えた。
―女神のようなこの少年は選ばれた存在だから。(まず自分のような霊力を持って生まれた時点で)
あの世界で死神代行として生きていく限り―
大統領のように幾百万の目に晒されて
救世主のように幾百万の命を救って
太陽のように幾百万の人々に愛されるだろう。
それは、耐え難い苦痛だった。
理由は知らない。―しつこいようだけれど、考えたことすらもなかった。
「…おまぇ、気…付いてねーん、だな…」
一護はこんな時ですら可憐な花のように笑って―何やら良くわからないことを言うので、本当に気がおかしくなったのかも知れないと思った。
まぁ、現実で言うとたぶんもう三日くらいは経過しているし、さすがの一護の精神力ももう限界なのかも知れない。
「一護、指を一本ずつそいでやろうか?痛みで正気に戻るかも」
「好きに…すれ…ば…?」
「逆らう気がなくなったのはイイことだけど、脅しじゃねーぞ」
「その前に…なぁ、これ…外して?」
「?」
一護は腕をちょっと上げて、鎖のついた手錠を振ってみせた。重厚な鎖がちゃり、とやけに澄んだ音を立てる。
どうしてこの少年がそんな要求をするのか、まるで判らなかった。抵抗されたら面倒なので腕だけでも拘束しておいたのだが。
「なんで?」
「セックスする時は…抱きつきたいだろ?」
「…なんで?」
「いいから、外せよ…なんでもゆうこと聞くから…」
仮にも王というべきか、一護は妙に強い口調で言った。
「じゃあ自分で外してみろよ」
「外そうと思えば外せる…け、ど…おまえが外してくんないと意味ない…」
「?」
―どうして、とまた言いそうになったけれど。
まるで操られたみたいに―自分の手はその拘束を解いてしまった。
自由になったこの手は魔法のように斬月を引き寄せて―すぐにでも自分に斬りかかってくるかもしれないのに。
まぁその時は腕のひとつでも斬り落としてしまえば鎖なんか不要か…、と思い直した。
「抵抗すんなよ」
「しねーよ…」
一護はフ…、と妙に嬉しそうに笑うと、ふわりと背中に腕を回して言った。
「知らねーんだろ…?教えてやるよ…ぜんぶ…」
うわごとみたいなその言葉が―呪文のようにも、呪いのようにも聞こえた。
(…?)
じわじわと、水が染み出すような音がする。
この世界には出口がない。
一見無限に広がっているように見えるけれど、実のところはただの閉鎖された密室のようなもので―しかも酷く狭い。
ここは、言わば箱だった。
元から酸素なんてなかったけれど、知らなかったから生きてこれた。
*
そうやって少しずつ捩じ伏せて―反抗する気も削いでやるとでも思っているのだろうけれど。
そうやって執着することがどれだけ自分を喜ばせているのかなんて気付いてもいないんだろう。
―コイもアイも知らない、なんて無知で愚かな存在。
知らないで死ぬ方が、感情を知らないこの虚にとっては多分苦しくはないんだろう。
それでも自分ばっかり―この化物に焦がれて死ぬなんて耐えられない。
知らないなんて言わせない。
ひとりだけ楽に死ぬなんて許さない。
この自分と一緒に沈みたいと―ハッキリそう言ったのはそっちの方なんだから。
―少しくらい苦しくったって付き合ってくれるよな?
知らないのならおしえてあげる―その感情も、それに伴う痛みも全部全部全部。
真綿で首を絞められるよりも―この俺の手の方がどれだけ痛いか、少しは思い知ればいい。
この狭い箱庭に水が満ちて―溺れて死んでしまうその前に。
***