取り憑かれる―ということを言葉では知っていた。いや、こうなってから知ったのかも知れない。いつから自分に自我があったのか定かではないが―この能力のおかげで自分が脆弱な虚を凌駕出来る存在になったとするなら、それは最初からだった。
(…アーロニーロ)
ボゥ―と内側から語りかけて来る声が聞こえた。声というよりは自分の中に直接響いて来る耳鳴りのような―音にはなりえない声。
世の中には己の中に霊力の分身ともいえる虚を宿し―その力で戦っている死神もいるらしいが、これはそのようなものではは断じてない。どちらかと言うと赤の他人だ。
―かつて自分が喰らったもののナカにたまたまいた『彼』はきっとずば抜けて力が強かったのだろう、ひとつの欠片も残さずに跡形も無くなった今ですら―食物連鎖など無意味だとでも言うようにこんな風に現れる。
もっとも彼を感じられるのは文字通り食した自分だけだが。そうでなければこの男だってわざわざ彼を取り込んだ自分のナカになんかいないだろう、きっと。
「…なんだよ」
ぶっきらぼうに答えると、海燕はふわりと笑って―おまえは好きな子いないの?、とおもむろに尋ねた。
好きとか嫌いとか、愛とか恋とか―アーロニーロにはまったくわからなかった。生まれも育ちも虚だったのだから当然だ。今まで虫みたいな存在だったものがいきなり人になったところで、そんなことわかるはずもないと思っていた。
そんなん知るかよ―と言おうとして、知らないわけではないことに気付いた。自分のこの呪わしいチカラのおかげでこの男の記憶を全て―把握しているからだ。それこそひとつの欠片も残さずに、全て。
自分の考えていることが判るのだろうか…海燕は見透かしたようにまた笑った。―いや実際はアーロニーロが虚らしく単純な性格で判りやすいだけだったのだが、アーロニーロにしてみれば海燕には敵わないと思わされた。
(俺の彼氏の顔覚えてる?)
「…覚えてるっつーか覚えたよ」
―逢ったこともない、名前も知らない男。
海燕の甘ったるい記憶はまるで自分の経験であるかのようにリアルに脳裏に焼き付いている。彼の記憶を利用させてもらっているのは事実なので文句を言うつもりはないが、鮮明すぎる赤の他人の恋愛の記憶はそういう感情を知らない自分にとってあまり気持ちのよいものではなかった。
(…もし会えたら伝言して欲しいんだけどさ)
「あんたには世話になったから伝言くらいしてやるよ。まぁ、その隊長さんに逢うまで俺が生きてたらの話だけど…」
残念ながらこんな虚にすら遠く及ばないような幽霊状態ではカラダを貸してやることは叶わないようだ。
(サンキュー!…おまえもさ、ここにはおまえのこと好きなやついっぱいいるじゃん。あん中のだれかにしとけば?)
そんなことを言われても、とアーロニーロは思った。
性欲がないわけではないからセックスくらいはする。そこに伴う感情はわからなくても単純に気持ちいいことはわかるし、それは生き物の本能だから。
海燕は誰のことを言っているのだろうとぼんやり思った。藍染とはたまにやるけど、彼は最中でも自分のことなんかまるで見ちゃいなかった―この自分でさえわかるくらいに。
他にカラダの関係があるやつといえば…スタークだとかグリムジョーだとかザエルアポロ…それこそ刻まれた番号の上から下までいるけれど、その中の誰にしても冗談じゃない、とアーロニーロは首を振った。
それを見て海燕はアハハと笑った。
(…俺もおまえのこと結構好きなんだけど?)
「彼氏はどーしたよ。つか良く同じ顔に向かってそんなこと言えるな」
(俺ももう死んで長いからな。今なんかおまえとしかコンタクト取れねー始末だし)
「…俺しか残らない消去法とは気の毒なこったな。まぁ、俺が死ねば今後こそあんたも成仏出来ると思うぜ?」
―9番目なのだから、そんなに長くは生きられない。上位に名を連ねる番号の十刃達はともかく、下から数えた方が早い自分はこの戦いの中で死ぬ可能性の方が明らかに高かった。
まぁどうせ元は、個体差も自我もないような虚だったのだ。自分という肉体を手に入れただけでも幸運だと思っている。虚ゆえの単純さ―なのかどうかは知らないが、そういうところだけは性格上異常に割り切っていた。
(そう気の毒でもねーよ、おまえこん中の誰より可愛いし。性格とか…)
「ふーん…良く自分を喰った相手にそんなこと…」
(なんせそれ、俺のカラダみたいなもんだからなぁ。おまえをいちばん感じさせられんの俺だと思うぜ?)
「う、うるせーな!」
(…おまえは)
海燕は勝ち誇ったように自分の頬に指を添えた。今となっては自分だけがこの全世界からとっくの昔に消えてしまった男に触れられるのだ、とアーロニーロはぼんやり思った。
(そーゆう罪悪感がどっかにあるから俺のものになってくれたの?)
「…それは、あるかもな。」
正直に返事をしたらやっぱかわいいな、と海燕は笑った。
(別に俺をやったのがおまえってわけでもねーんだし、気にしなくていいのに)
「…似たようなもんだろ?」
(だからさぁ…)
海燕はニヤリと笑って、―そういうとこがカワイイっつってんの、とアーロニートの耳元で囁いた。びく、とこちらが過剰に反応したのをいいことに何の躊躇もなくそばのベッドに押し倒してくる。
自分じゃなかったら触れることも出来ないくせに、と少し憎たらしく思ったけれど―彼に抱かれるのも嫌いではなかった。自分の知り合いの中では、いちばんそれらしいセックスをする男だし。まぁ、他は虚ばっかりだから仕方もないけれど。
「ちょ…俺の部屋ですんのかよ?誰かに聞かれたら誰とヤってんだって思われ…」
(んなこと気にするようなやつここにはいないって。)
たしかにそれはそうだけど、ひとりで喘いでるなんて思われたらさすがに嫌だ、とアーロニーロは強く思った。
(そー言うなよ。おまえのこといちばん愛してやれんのは俺だって)
「それとこれとは関係ねぇだろうが!!」
(だから確かめてみろって、ちゃんと…)
海燕はやたら真顔でそんなことを言った。何を確かめろというのか―自分が化物で、この男も亡霊だということを?お互い持っているのはこの空虚なカラダだけなのに、こんなもので交わって一体なにを判れというのか。
面倒なので抵抗する気もなくなって瞳を閉じた。彼の口唇が自分に触れて―舌が侵入してくる感覚には慣れているけれど、これが恋とか愛とかに直結している行為だとはやっぱり思えなかった。
(いい子だね、おまえは…)
海燕はゾッとするようなヤサシイ声で囁いて、アーロニーロの頭を撫でた。
(…まぁ、死ぬまでにはちゃんと俺が教えてやるよ)
…何を、とはやっぱり聞かなかった。
((―そう、キミに愛を。))
***