ここからは、この世界の果てすら見える気がしてた。
今日はいつものベッドじゃなくて、いちばん上の階の部屋にいるから。本物のラブホテルにそれが存在しているのかはともかく―少なくともこのうちではスウィート、というやつだ。
ベッドの脇の出窓を開ければ荒野の真ん中にぽつんと立っている大きなこの家から―遥か向こうの逆さまのビル街までが良く見える。
あの街には人なんかいない―いわば死んだ街なのに、まるで深夜の繁華街のように煌々としていてきれいだった。
「…いちご…?」
冷たい外気が肌に触れたせいか、隣で眠っていた恋人を起こしてしまった。
「悪い、寒かったか?」
「大丈夫…どうかしたの?」
「あ、バカ、けっこう風冷たいから風邪ひくぞ」
のそのそと身体を起こして窓際に寄ってきたので、慌ててそこらへんに脱ぎ捨ててあった着物を被せてやる。
適当に取ったので彼の死覇装ではなく自分の黒い方だったけれどまぁ別にどちらでも良い。
昔から何度も着せたことがあるが(怪我していた時は霊力を使わせなかったから常に自分の着物だったし)身体の大きさは同じはずなのに、自分の死覇装を着せると妙にぶかぶかに見えておかしかった。
真っ白も悪くないけれど、黒は黒で白い肌が良く映えて―とにかく良く似合った。
「…いちごだって裸じゃない」
黒い衣に包まれた虚は不満げに言った。
「俺はいーよ、おまえにあっためてもらうから」
そう言って虚を後ろからぎゅうと抱いて指まで絡めた。この子も決して体温が高い方じゃないけれど、それでもしばらくこうして外を見ていた自分よりは格段に暖かい。
そうして外に目をやると、腕の中の虚の金色の瞳も同じ方向を見た。
「俺がひっついて寒くない?」
「ううん、大丈夫…なに見てたの?」
「外。…我ながら広いなぁと思って」
精神世界なのにこんなに果てしないなんて、自分はいったいどうなっているんだろう…とちょっと不安に思ってしまう。不安というよりは己が信用できなくなるというか。実はこの世界には果てなんかないのかも、とぼんやり思ったりする。
それでも虚はそれがどうしたんだと言いたげに首を傾げて言った。
「…そんだけいちごはすごいってことでしょ?いちごはまだまだ強くなれるし…この世界の広さと同じくらい、可能性が無限ってことなんだよね。きっと。」
虚はふわふわと笑って、広い景色を愛しげに眺めた。
長い銀の睫毛に彩られた金色の瞳が綺麗だった。
「ここはいちごの世界だから…俺もそうだけど、ここに棲んでる生きものから見たらいちごは神様みたいなもんだよ。いちごがいなかったら存在すらしてない」
「…」
「…俺も…なんでここにいるのかはわかんないけど、ここに…いちごの中に生まれてきてしあわせだよ」
「おまえ…」
「なに?」
「い、いやなんでもない。」
無条件に愛されていることは知っていたけれどここまでとは、と内心びっくりしてしまった。そんなに愛しげに眺められては、この世界の広さとかもう心底どうでもよくなる。
ドキドキしているのが抱き締めているこの子に伝わらないかとハラハラした。
「なぁ…じゃあ俺に愛されてしあわせ?」
「なにそれ…」
「教えて?おまえはこの世界に生まれて…俺に抱かれてしあわせ?」
「…聞かなくてもわかるでしょ?」
「おまえの口から聞きたい」
「…抱かれてる時は良くわかんないからともかく…。こんな風にしてる時は…俺はほんとにいちごと付き合ってるんだなぁって実感して…うれしい。でもまだ…しあわせとか思うよりドキドキする方が大きいかも…。ひっついてると余裕ないし…」
「そか、十分な返事サンキュv」
妙に真面目に聞かれたとおりの返答をするのがおかしくて虚を抱く腕に力を入れた。
耳が赤くなったのがかわいいなぁと思いながらちゅっ、とキスを落とす。
「…初めてエッチしたの、どこだったか覚えてる?」
「いきなりなに…。覚えてないよ、必死だったから…頭真っ白でなんにも覚えてない」
「そんなに必死だったのか…悪ぃ、俺あの時おまえが初めてじゃないって気付いてキレてたからそんなことも気付かなくて」
「ま、まだ言ってんの…。恥ずかしくてもぅ思い出したくないから忘れてよ」
「別に忘れなくてもいいだろ?どんなんでも初めてカラダ繋いだ日なんだから。あのあと何百回もやったけど…初めてはあの時だけだったんだからさ」
「…。(いくらなんでも何百回はしてない気がする。…いやしたのか?)」
「…俺は覚えてるよ。…あのビルの中の…ここより高いとこにある会議室」
「へ、へぇ…。よりによって会議室…(他人ごとのように)」
「ここにはさ…どこもおまえとの思い出が詰まってるよな。初めておまえに会って…戦ったのもあそこだし。それであのビル街も人もいないのにあんなにキラキラしてんのかもな」
「ちょっと、恥ずかしいよ」
「おまえの方がさっきさんざん恥ずかしいこと言ってただろ?…初めておまえに会った時もさ、俺のくせにあんまり白くてきれいだから茫然としちまって…危うく負けるとこだったかも。」
「…」
余程恥ずかしいようで黙り込んでしまったけれど、構わずに小さな身体を抱き締めながら続けた。
「…おまえがいなかったら、俺だってもう生きてないよ。おまえの力に助けられてここまで来たんだからさ」
「いちご…」
「…もう寝ようか。あんまり冷えてもアレだしな」
窓を閉めて、布団をかぶった。腕の中の白い虚が真っ直ぐな金色の瞳をこちらに向ける。
「…俺は、ちょっとはいちごの役に立ってる?」
「当たり前だろ。…でもさぁ、おまえが全然まったくなんの役にも立たなかったとしても、俺はおまえのこと愛してるから。…オヒメサマはさぁ、護られてるだけで十分って昔から決まってんだよ」
「バカ…」
「そっか、俺が王ならおまえは王妃さまだよなぁ」
「お願いだからあんまりへんなことゆわないで」
「ひでーな。…でもまぁ、確かにおまえはお姫様ってタマじゃねぇよな」
思いっきり眉を顰めた虚の額にキスをして、いい夢を―‥と口唇も塞ぐ。
火がつかない程度に深く重ねて―名残惜しく離したら、虚がちょっと笑って、ありがと…、と小さな声で言った。
こんな風に少しずつ―きみがなにかを伝えてくれるのが嬉しいと思う。―あのビルで身体を繋いだ時には見せてくれなかった顔を見せてくれることが。
閉じた瞼の銀色の睫毛にもういちどキスを落として、自分も瞳を閉じた。
―おやすみ、俺の中のかわいい俺。
この世界にたとえ果てなんかなくても、おまえがいれば俺はなんにも怖くないよ。
***