―毎日毎日、見えない何かに追われる夢を見た。何に追われているのかすら判らないまま自分は彼の手を引いて必死で逃げている。
その手を離せばもう追われることはない。ふたりとも楽になれるのに。
朝も昼も夜も欲望のまま抱き合った時なんかにふと襲ってくる現実に恐怖を覚えた。
たとえば伏せられた瞳に影が射した時とか、ふと会話が途切れた瞬間とか、なんとなく開けた窓から吹いた風の冷たさとか―そんな他愛のないものがあの悪夢の続きみたいに思えて、もしかして自分は気でも狂っているのかと思うのに。
―その手を離すことだけはどうしても出来なかった。
―住んでいる世界が違うから、ずっと一緒には、居られない。そんなことははじめから判っていたはずなのに。
夜の闇が光に溶けて朝になるその瞬間を。
1日が終わってまた1日が始まるたびに。
時間の砂が落ちては積もってゆくことそれ自体を―‥
―たぶん誰よりも恐れていた。
「‥一護?」
余程難しい顔でもしていたのだろうか、隣の恋次が小さな声で自分を呼んだ。
彼は見た目よりずっと繊細―と言えば聞こえはいいが、単に極端に女々しくて、自分が表情を曇らせるととても不安げな顔をすることを知っている。
「―なんでもねぇよ、ばぁか」
「…」
ちょっと笑って頭を撫でたけど恋次は納得いかないという顔でじとりと一護を睨んだ。
「…恋次」
一護は自らの衝動のままに、寝ている恋人に覆いかぶさるようにして抱き締めた。こいつは丈夫だしちょっとやそっとは平気だろうと肋骨が折れるくらい強く抱いたら、さすがの彼も少し顔を顰めた。
こういうのは誤魔かしたことになるのだろうか、とか少し思うけれど不安にさせたくないという気持ちの方が強かった。
自分がこれ以上弱いところを見せたりしたら彼はますます不安になって泣いてしまうかも知れない。
「―いち、ご…」
ますます小さな声で名前を呼んで、恋次は自分の背中に腕を回した。
―いつもいつも鈍いし空気も読めないくせにこんな時だけ察しがいいから。
自分が今何を考えてるのかなんて手に取るように判っているのだろう。
「俺…お前とこうなった時から…もぅいつ死んでもいいと思って、る…。だから…」
「…だから、―ナニ?」
「…」
「だから死刑になってもいいって?どんな罰でも受けるって?引き裂かれても―‥別れてもいいってのか?」
「…え、」
「冗談じゃねえ。全部お断りだからなそんなもの!!!」
「…」
「この手を離すくらいなら死んだ方がマシだ!!!!!」
思わず大きな声を出したら、恋次は瞳をぱちぱちさせて―それからケラケラと笑った。
―あぁ、苦労して取り繕っていたのが台なしだ。
「いや…心中でもしよーかって…言おうとしたんだけどよ…おまえそんな恥ずかしいこと大声で…」
「…つか、それもどーよ」
我に返った自分のツッコミは耳に入らないようで、恋次は一護の背中に回した両手に力を込めた。
「一護、本気で俺のこと好きなんだな。―すげぇ嬉しい」
「…てめ、そんなことで喜んでる場合じゃねーだろ。高望みしないのもいいけどな、ちょっとは前向きに逃れる方法とか考えろよ」
「だって考えてどうこうなる問題じゃねえだろ。逃げられるとも思えねーし、いつかはバレてこう首とかバッサリ…」
「あーもぅいいもぅいい。てめーには頼らねーよ」
なんだと!!と言いかけた恋次の口唇を己のそれで塞ぐ。口を開いていた相手のそこに侵入するのは容易く、するりと舌を滑り込ませる。
気の済むまで貪ってから離してやると、透明な唾液がツウと糸を引いた。
「―死刑でも極刑でも相手がどんなやつでも…あーもう何でもいいや。とにかく恋次、テメーは俺が守る。言っとくけど好きで守るんじゃねーからな。お前が守る気まったくねぇみたいだから俺が守るんだからな。―判ったか?返事は?」
「…」
流石に恥ずかしかったのか恋次は頬を染めて、ただコクンと頷いた。
どうしてもどうしても欲しかったから。
彼の手を引いてここまで引きずり落としたのは自分だ。
もう戻れないし手放す気もない。もしその時が来ても最期まで全力で抗うとここに誓う。
―あの日、このベッドで。
シーツに散らばった赤い髪、長い手足―‥そのカラダのすべてを―知ってしまったのだから。
―でも。
でも、神様。
どうか1分1秒でも長く―
***