意識が酷く朦朧としていた。
夢と現実の境目があんまりにも薄れて、遠くで映画か何か見ているような…それどころか更には映画の途中で寝てしまっているような、そんな全てが曖昧な感じだった。
頭に掛かった雲のようなそれを強引に振り払うと―目の前の男が何か言っているのが見えた。
「―恋次…もうちょっとだけ力抜いて…」
そんなことを言いながら彼は自分の口唇に口付けて、もはや逆らう気力もない腕を更にベッドに沈むくらいに押さえつけた。そんなにきつく押さえなくても逃げやしないのに―とか、ぼんやりとだけれどそんなことを思った、…と思う。
それにしても何を言っているのだろう、何の話だろうと―流れを追いきれない自分の頭は思うけれど、何故だかカラダは考えるより先に彼の言った通りに動いて簡単にそれを受け入れるはめになった。
悲鳴のような声が自分の口唇から漏れたけれど、己の頭はそれを受け入れたくないのか、それすらも他人事のように感じる。
「ははっ…いい子」
こちらは悲鳴をあげているにも関わらず男はさもおかしそうに笑って、もういちどキスをした。回らない頭に追い討ちをかけるように揺さぶられて貪り尽くされて、ますます訳が判らなくなる。
…
…
…?
―自分の記憶が確かなら、こういうのは確かセックスというはずだ。
それを何故こんなところ(そもそもどこだここ?)で、この男としているんだろう。頭が真っ白とは良く言ったもので―それでも律儀に自分の頭はその疑問を追い続けていた。
―次は本当に夢だった。
小さい頃ルキア達と良く遊んだ川で、昔の小さな自分が水遊びをしている。
―恋次
彼に呼ばれて振り返る。
良く見知った顔と声なのに、誰だか全く思い出せなくて戸惑っていた。相手はそれが可笑しいのかくすくすと笑った。
―恋次
それでも彼が呼ぶので―思わず駆け寄ったところをひょいと抱き上げられて、微笑む顔を見ていきなり全部思い出した。
(―いち、)
「―!!!!」
その瞬間もの凄い勢いで目を見開いたため、今までの妙な夢やら何やらから一気に解き放たれて、現実が時速150kmで襲って来た。
(な…なんだ、夢か)
恐ろしくいい天気だった。窓の外の眩しい青空が目に入って正直安堵したが心臓はバクバクものだ。朝っぱらからこんな思いをして起きるはめになるとは。
(そ…そりゃそうだよな、幾らなんでもそれはないよな、うん、ないない…)
だが、隣で眠っているその男―黒崎一護(もちろん素っ裸)を見た途端どっひゃあとでも叫びたくなった。…夢じゃなかったんか。
どうりで見慣れない天井だったわけだ。つーか気付けよ、自分!!と自分を叱咤する。
自分に回されたその腕を振り解きたい衝動に駆られるがそうすると当然彼は目を覚まして、それから自分を見るだろう。―気まずすぎる…。
しかもいきなり冴え出した頭が、昨夜の記憶を洗いざらいフラッシュバックして行くのを止める術はない。
そう、昨夜―たぶん昨夜だ。万が一にも2日以上眠り続けていたとかいうことでない限りは。
その昨夜に一護の部屋の一護のベッドで―もしかしなくても自分たちは一線というやつをいとも簡単に越えてしまった。
―キスは何回もした。
でもそれはいつも何となくしていただけで、別に好きだとかそれに近しい告白をされたわけでもなければ、それ以上に進展したこともなかったのだが―
「ちょ…」
待って、とかそんなことを言いそうになって、恋次は一護の腕を引き剥がした。―まだ力では勝てる勝てる勝てる、敵わないわけなどない、そんなことをぐるぐると思った。
まどろっこしいことが嫌いな一護は、今更なんだよ!!とか思いっきり怒って眉毛を吊り上げた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て、とりあえずちょっと待て。落ち着け。今更も何もないだろ。今更とか言われるほどのことをした覚えも、言われた覚えもないぞ」
「ハァ!?キスしただろーが!!!」
「キ、キスしかしてないだろうが!!!」
「キスすれば十分だろうが!!!」
「キ、キスくらい友達同士でもするかも…(焦)」
「しねーよ」
アッサリ否定されて、恋次は言葉を失くして一護を見上げた。
「―納得したか?じゃ、いいよな…」
軽く突き飛ばされて―ベッドに尻餅をつく形になった。なんでそんなに乱暴なんだ。―いや、女みたいに扱われたら気持ち悪いからむしろこれでいいのか?
それに何だ、そんなに切羽詰っているのか。クールな顔しといて。いや、彼が好きだと―それも相思相愛だと薄々気付いておきながら特に何もしなかった自分も悪いのか?
(そういえば…)
「…ちょっと待て!!まだある!!」
「まだあるのか?」
一護は眉を歪めて不満を露にした。
「一護!!なんで当然のようにお前が上になろうとしてるんだよ!!オカシイだろうが!!」
「…」
そう、考えてみたら何故自分が受け身の羽目に???ぜえぜえ言いながら詰め寄ると、一護はきょとんとして、だって、と言った。
「だってお前、襲って下さいとでも言わんばかりの態度だから」
…そうだったか?
「…」
…そうだったか?
「いや、違う、断じて違うぞ!!!」
「…」
「オレはこう見えてナイーブで繊細だから、お前みたいに無神経で怖いもの知らずに迫れないだけだ!!普通は上がいいだろうが!!オレだって上がいい!!」
「…」
しばしの沈黙の後、一護は判った判った、と恋次の肩をぽんぽんと叩いた。
「その辺は別にオレもこだわらないから、次からはじゃんけんなりシフト制なりどうにでもしたらいい。だがとりあえず今日はオレにさせろ。―何故なら」
「…何故なら?」
「もう我慢出来ないからだ。お前はビビって引くくらいだから別にそんなに切羽詰ってもいないだろ」
うーん…?と考えた瞬間に、のしかかられる形で押し倒されて目が回りそうになった。うまいこと言いくるめられた気もする。
「…確かに、何にも言わなかったのは悪かった。でもお前、けっこう凄いキスしても嫌がらなかったし、いいかなって」
なんだ、その軽い男みたいな言い訳は。人間だからなのか?それとも若いからか?
「明日の朝後悔されても困るから一応言うけど―オレはお前が好きなんだよ。やりたくなるのも仕方ねーだろ」
冷静になって考えると、ここでルキアは?とか聞くべきだったのかも知れない。もっとも、そんなこと聞いたところでお前こそどうなんだ!!…と返されるのは言うまでもないけれど。
まぁ、そんなことを言い返せる余裕はもちろん無かった。
「一護…もう判ったから、言わなくていい…」
実際の音となって自分の耳に届いたその言葉は思いのほか重くて現実味を帯びていて、妙に動揺した。
思わず彼の着物を握り締めたその指を取って、軽くキスされた。口唇以外にキスされた経験はないので思わずびくんと反応してしまうが、一護はその反応に気を良くしたらしい。
「恋次…」
一護は着ていた死神装束の胸のあたりに指を差し入れると服を脱がしにかかった。現代の人間が着る服なんかよりもはるかに綻びやすいそれははらり、と簡単に身体を離れて、あっさりと彼の前に身体を晒すこととなった。
「まぁじっとしてろ、悪いようにはしないから…」
恥ずかしくて気絶しそうなのに一護は平然とそんなことを言った。お前は入れる方だからそんなに余裕ぶっこいていられるんだと主張したかったが、何度も言うようだがこちらにそんな余裕はなかった。
これから彼を受け入れるということは、つまりその、たぶん簡単には入らないわけで、愛撫されたりするわけなんだろうか?それだけで済めばいいがもちろんあんなことやこんなことも…
…
…
…
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」
「…今度は何だよ」
「し、素面じゃムリ…あの、ビールか何か…」
「ハ!???????????」
一護は今度こそ本当に呆れ果てたという顔をした。
「この後に及んでアルコールに頼るってか!ありえねー!!」
「お前は、上だからこの恐怖が判らねーんだよ!!次にオレに抱かれる時にこの恐怖を味わうといいさ!!」
大袈裟に泣き真似をすると、一護はバタンをドアを開けてダンダンと凄い勢いで階段を駆け下りて行き、また物凄い速さで駆け上がって来た。腕にはア●ヒビールを5,6本抱えている。
こちらが声を出すより先に彼は乱暴にビールの缶を開けながら近づいてきて、グイッと飲ん―‥だと思ったら、拒む暇もないくらいの電光石火でそのまま自分に口付けた。
いきなり流し込まれた液体は、当然ながら呼吸器を逆流してゲホゲホとむせる羽目になった。
「何も…口移しで…飲ますこたぁねーだろ」
ゲホゲホ言いながら涙目で抗議したけれど、一護は目をギラギラ輝かせてこう言った。
「気絶するまで飲ませてやるよ。覚悟しやがれバーカ」
…成程、現実感がなかったのは単純に酔っていたからだった。
(…あーあ)
とりあえず何かもう今更のようだし、照れる気にもならなくなっていい加減自分にのしかかった彼を起こそうと揺さぶってみる。
「一護、オイ一護」
一護はしばらくの間う〜ん…とか言っていたが、やがて面倒臭そうに瞳を開けて、おや、と言った。
「おはよう阿散井さん、どこも痛いところはナイデスカ?」
「バカ言え!あんなに飲ませておいて、痛さも何も感じるか!!」
「…別に、1本しか飲ませてねーぜ??」
「え」
「そんなに何本も飲ませて、記憶飛ばれても困るし」
確かに、フワフワして現実感はないが記憶が怪しいというわけではない。むしろ…ちゃんと覚えている。(夢かと思ったけど)
「素面じゃムリとか言われた時はマジでどうしてやろーかと思ったけど、ビール1本でお前があんなに素直になるんなら結果オーライってやつだな」
一護はそんなことを言いながらあくびをして起き上がった。
彼は妙に悠長だが、流石に頭が冴えてくると彼のベッドにふたりで入って裸で寝ているというこの状況に眩暈がしそうだ。まぁ、しつこく今更だが。
「次はもう飲まなくても大丈夫だよな?」
一護はニコニコ笑って頭を撫でた。
「…つーか次はオレが上だぞ、忘れるなよ。お前も下になったら素面じゃムリって言いたくなるぜ。絶対」
「…そーかなぁ」
「絶対そーだ!!それより早く服着ろよ!お前の家族にでも見られてみろ、さすがにこの状況じゃ言い訳できねーぞ!!!」
恋次がそう口にしたと同時にバタンとドアが開いて、一護の妹(片方)が現われた。
「心配しなくても、昨夜からぜんぶ聞こえてたし」
彼女はさらりとそれとだけ言ってまたばたんとドアを閉めた。―ドアを開ける前にせめて服くらい着させてくれ、とぼんやり思った。
「てめーの喘ぎ声がでけぇんだよ!!!!」
さすがにこれにはショックを受けたらしい一護はそんなことを言って自分の肩をガクガク揺さぶったけれど、何だかもうどうでもいい(そもそも彼もビールを取りに降りたりしたのだから自業自得だと思う)―というかそんなに声を出して喘いだだろうかと恋次は思わず虚ろな目になった。
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