気絶しそうに静かな部屋で、時計だけがただカチカチと時を刻んでいる。
もう何時間経ったのだろうか、と恋次はぼんやり思った。
激しい戦いで怪我こそ無かったものの、極端に霊力を消耗した一護を家まで連れて帰ってベッドの中に入れてやったのは何時間前のことなのか―‥もう随分前のことに感じた。
一護は悪ィ、とちょっとだけ笑って一言だけ呟くと―あとは死んだように眠ってしまった。
早々に役目が終わった恋次だったが、彼を放って帰れずに眠っている一護をただぼんやりと見ていた。
一護が気配に気付いて目を覚まさないように―呼吸する音ですら一護の眠りを妨げているような気がして、可能な限り部屋の隅に寄って恋次は息をひそめた。
本当のことを言うと―恋次は一護が好きだった。友人としてとかではなくて、いわゆる「そういう意味」で。
もちろん、男同士であることを筆頭に様々な障害から伝えたことはないけれど。
一護は俗に言う底無しというやつで、限界を知らないタイプだった。普通の死神が五十年くらいかけて到達する域に辿り着くまで半年もかからなかった。
生まれ持った才能とひたすら強さを追い求めるその性格―ルキア奪還の際必要に駆られてという理由もあるけれど。
それは階段を駆け上がるなんていう生易しいレベルではなく―まるで背中に羽でも生えていて一瞬にして飛んできたみたいに。
もちろん一護のそれは才能だけではない、血を吐くような特訓のもとに壁を突破してきたことを知っている。
彼の母親の話を少しだけ―‥聞いたことがあるけれど、そのせいもあるのだろう。とにかく一護は、自分を犠牲にしてでも他者を命懸けで守る性格だった。自分よりも他人が傷つくと痛いという典型的なタイプで―自分のことは本気で省みなかった。仲間も家族も見知らぬ他人も―‥誰でもかれでも平気で抱え込んで、それでも何でもないみたいにしゃんとしていた。
己の手を血で汚してボロボロになっても、常に強さを求めていた。そして実際鬼か悪魔のように強くなった。
どんなに返り血を浴びてもますます白く輝く一護は恋次の目には天使のようにも見えた。こんなにも強い光を放つ存在を恋次は今まで見たことが無かった。こんなことを考えるなんて自分でもかなりどうかしてるとは思うけれど―神聖な存在だと思った。
そんな一護の姿が本気で綺麗だと思って―気がついたら好きになっていた。
いつからなんて知らない。本当は初めて会った時からかも知れない。一護を知って恋をしてしまった以上―もう彼を知らなかった頃には戻れないしその感情に気付かないフリをすることも出来なかった。
戦場を駆け回るオレンジ色の髪の毛と翻す死覇装が空に溶けるようなその光景はぞっとするほど美しくて―しばしば戦いの最中でも目を奪われた。願わくば自分が一護の相手になって彼の刃で息絶えたいと思うくらいだった。
暗い部屋ではぁ、と溜息をつきそうになって恋次は慌てて口を押さえた。
こんなに長く死神として生きているのに、自分には彼を守るだけの強さがない。生き急ぐみたいに戦い続ける一護に自分がしてやれることなんて何もなかった。
一護はまだ15だか16だか―ともかく自分からしたらほんの子供にすぎないのに。
さっきここに運ぶために抱き上げた身体は羽根みたいに軽くてぎょっとするくらいで―守ることが出来ないのならいっそ手足を繋いでどこか戦いなんかとは無縁の場所にずっと閉じ込めておけたらいいのにとか、出来もしないくせにそんなことを考えたりする。戦っている一護を好きになったのに矛盾しているとは思うけれど。
もっともどこの誰がどんな方法で止めたところで―まるで己の進む道が見えているみたいに、一護は修羅の道を歩むだろう。そうしてもっともっと強くなることは誰の目にも明らかで、それは勘でも予想でも憶測でもなく―殆ど歴史と言ってしまってよかった。
そうして現存する死神の誰よりも強く―たぶん尸魂界の頂点に君臨するくらい…うっかりすると人知を越えるようなレベルまで辿り着いてしまうかもしれない。
そのかわり―考えたくもないけれど、彼がその過程でその命を失ってしまう可能性も多いにあった。
彼は自分の傷になんか構わないし、自分の傷である以上は痛まないから。きっと致命傷を負っても痛覚なんてまるで無いものみたいに―笑って死んでしまう。
一護は絶対に限界を認めたりしない。いつも前しか見ない。もう駄目だという時が来ても、もう駄目だとは決して思わないだろう。認めて―諦めてしまったらそこで全部終わるから。―彼の背負っているものが全部。
そこにどんな絶望があっても、どんな地獄でも、どんなに死の影がチラついても―‥だからこそ今まで何度もおおよそ不可能とも思える相手から勝利をもぎ取って来た。
黒崎一護はそういう男だと―恋次がいちばん良く知っている。止める術は無い。―止める権利すらも無かった。
―恐れている、と思った。一護が倒れるその時を、今まで味わったどんな恐怖よりも強く。
いつかのルキアの時のように抱いて逃げられたらいいのに。―この世の果ての、ずっと先まで―‥
頭を振って、ふと時計を見ようと顔を上げたが―真っ暗でまったく見えなかったので、恋次はフラフラとそれに近付いた。
何とか読めるところまで寄って行って、一護が眠ってから3時間ほど経っていることを確認してからまた部屋の隅に戻ろうとすると真下に一護の顔があった。時計を凝視しているうちにベッドに近付いてしまったらしい。
眠っている時も眉に皺を寄せた難しい顔をしているのかと思ったけれど、意外と無防備な寝顔だったので恋次は少し安心した。
「…」
もちろん、一護に触れたいという気持ちも―ずっとあった。…あったけれど、あんまり一護が高潔で真っ白で真っ直ぐだったから―‥自分のそんな欲望は一護を汚してしまう気がして、いつからか考えることすらも放棄してしまった。
疲れ切って眠っている今の一護をどうにかしようと思えば、自分にだって簡単に出来る。そのくらい判っていたし今までにチャンスがないわけでもなかった。けれど、そんなことは考えるだけでも大罪のような気がした。
「…んじ?」
うっかりまた溜め息をつきそうになって、恋次が急いでくるりと踵を返した瞬間。
耳に刺さるか細い声に驚いて振り返ると、微かに瞳を開いてこちらを見ている一護と目が合った。
「恋次…ついててくれたのか…?」
「…あぁ。悪い、起こしちまったな」
恋次は一護のベッドのそばに腰を降ろして返事をした。
「…随分消耗してたから心配でな」
あんまり無茶するんじゃねぇよ、と刺激しない程度に努めて優しく頭を撫でた。
いつもの一護なら怒るだろうな、と思ったけれど今日の彼は弱っているせいか―むしろ妙に嬉しそうにふわりと笑ってサンキュ、とか小さな声で言った。
「一護…」
そんな儚げな笑顔を見ていたらたまらなくなって、恋次の口唇からポロッと言葉が零れ落ちた。
「夢だと思って忘れてくれて構わねぇが―‥俺はおまえが好きだ」
「―!!」
半分寝ぼけていた一護の瞳が驚きで見開かれたのが判ってあぁしまった、と思ったけれどもう遅い。
それにこの調子なら、明日になれば夢でも見たんじゃねぇの―で済むだろうと判断した恋次はずっと考えていたことを言ってしまうことにした。
「…心配すんな、別にヘンなことしたいって言ってるわけじゃねぇんだ。ただ…」
「…?」
「おまえを守ってやりたいのに―何もしてやれない自分が情けなくてな…。おまえはこんなに幼くて小さくて―それでもこんなに強くなったのに…」
「…」
「俺は誰よりもおまえを愛してるつもりなのに無力で…おまえの為に何も出来ることはねぇのかなって…」
そこまで言ったら一護は猫が飛び上がるみたいに勢い良く起き上がった。
大きな瞳をもっと大きくして、射殺す勢いでこちらを凝視している。
「恋次…本当?俺のこと好きってホント???」
一護は自分の話の要点はまったく無視して、ただ「その」部分だけを声を震わせて聞き返した。
流石に様子が変だなぁ、とか呑気に思った瞬間―まさか、と思った。
今まで恋次はその可能性は全く―いっそ潔いほどに考えていなかった。
男同士だし死神と人間だしその他諸々―どう考えても有り得ないと思い込んで、可能性すら想像したことも無かった。
「嘘でこんなこと言うかよ。―‥ってオイ一護、まさか…」
一護は夢か幻でも見てるみたいにゆっくり頷いた―‥途端、大きな瞳からボロボロと透明な涙が零れ落ちた。つまりは決定打というやつで―流石に驚いた。心臓が止まるかと思った。
「…夢みたいだ。ぶっ倒れて良かった」
一護は心底嬉しそうに耳を疑うような言葉を口にしたが、それはこちらの台詞だと思った。
「一護、おまえ正気か?…寝ぼけてんじゃねぇだろうな…」
こちらも声を震わせて聞き返さざるおえない。
一護の頬を伝って落ちる涙が現実のものじゃないくらいきれいで、目眩を抑えられなかった。考えてみたらあの一護が泣いているところなんて初めて見たのだ。
「寝ぼけてこんなこと言うかよ…」
一護はぼろぼろ泣きながら―それでも嬉しそうに笑って、そばの恋次に抱き着いた。
突然の展開にまったくついてゆけないし―そもそも問題はまったく解決していないことに気付いてはいたけれど、ともかく自分は一護をこうする権利を手に入れたのだと思って、恋次はその身体をぎゅっと抱き締め返した。見た目よりずっと細い身体を壊さないように―それでも思い切り抱き締めた。
暗い部屋でもはっきり判るくらい頬を染めた一護が自分の顔を見上げた瞬間―恋次は衝動的にその口唇に自分のそれを重ねた。
酷く甘い砂糖菓子のように柔らかくて甘い一護の口唇を暫く楽しんでからゆっくりと離すと、ぼーっとしている一護の額に軽くキスした。
「…まぁ、とりあえずもうちょっと休め。おまえ3時間しか寝てないんだよ」
「えぇっっ!??せっかく両想いになったのに??」
「…いいから。おまえ限界まで霊力使っただろーが」
「もー治った」
「…。…手ェ握っててやるから」
「それじゃ恋次がしんどいだろ…!あ、じゃあちょっと狭いけど一緒に寝ようぜ!!」
「このシングルベッドでか…?」
恋次はいかにも一人用!と言わんばかりのパイプベッドをちらりと横目で見た。
「つめれば大丈夫だって」
一護は笑顔で布団をめくり上げてホラ、と言った。
絶対に無理がある、と恋次は強く思ったがやはり一護と一緒に寝るという誘惑には抗えず、誘われるがままに彼のベッドに入った。
―が、やはり相当狭かった。(当然だ)
これじゃあいつ落ちてもおかしくない、と思った恋次は一護を抱き寄せて自分の腕の中に納めた。
わ、と一護があからさまに反応した。
「…落っこちねーようにこうしててやるから―ちゃんと寝ろ」
「う、うん…。でもドキドキして余計眠れないような…。それに寝たら夢オチとかねぇよな…」
一護らしからぬ妙な心配に恋次はちょっと笑った。もっとも当の自分もついさっきまで夢オチで誤魔化すつもりだったけれど。
「…夢でたまるかよ。それにすぐ慣れさせてやるから心配すんな」
冷たい指先に自分のそれを絡めて軽く口付けると一護はくすぐったそうに笑った。
もうこのまま―いっそ彼の全てを奪ってしまいたいと少し思ったけれど、今の今まで一護に触れないと決めていた己の理性はこんなところで役に立って、今日は抱いて眠るだけで十分幸せだった。
「一護…おまえ怖くねぇのか…?このまま…どんどん戦いの渦に飲まれて―敵がどんどん強く、大きくなって行くのが…。俺は…、いつかおまえを失ってしまったらって―‥凄く怖ぇけど」
抱き締めた腕に力を込めると、一護は物凄く意外そうな声で―そう?とか言った。
「俺は恋次がそばにいてくれたら何にも怖くねぇけど」
「―!」
何という殺し文句を平気で吐くのだろう、と恋次は思わず赤くなった。
「…で、でもよ、もうちょっとくらい自分を大切にしろ」
「俺、そんなに危なっかしい?」
「いや、おまえが強いことも簡単には死なないことも知ってるけどよ。おまえがどうっていうより、厳しい戦いばっかりだから心配なんだよ」
「そう言われてもそうそう変われねーしなぁ…。そーだ、それなら恋次が俺を大切にしてくれよ。それならいいだろ?」
「…いや、そりゃあ…もちろん大切にするつもりだけど…」
自分の言いたいことはそういうことじゃなくて、と思ったけれど一護がニコニコと自分の着物を掴んでいるのを見たら何も言えなくなってしまった。
「と、とにかく、今日は寝ろ。」
「―うん」
一護は恋次の腕の中で素直に頷くと瞳を閉じた。
何だかんだ言ってやっぱり酷く疲れていたらしく、目を伏せた途端に呆気なく眠りに落ちるのを確認してから恋次も目を閉じた。
―不思議と不安は軽くなった。情けないけれど、改めて一護は凄いなぁと思った。
神なんていないことくらい子供の頃から知っているけれど、とりあえず今は神頼みしておく。
一護に守護を、強運を―‥馬鹿みたいだと思ったけど、本気で祈ってしまった。
もっとも、一護自身が殆ど女神サマのようなものだけれど。
もしかしたら―彼がついている限りこちらは負けることは無いのかも知れない、なんて途方もないことを考えて恋次は少し笑った。
もっともっと強くなって、絶対守れるようになるから。本当に―死ぬほど大切にするから。
翌日、一晩眠っただけでこんなにも回復するのか、これが若さかと言いたいくらい元気になった一護がそういえば、おまえ昨日は一旦報告に戻るって言ってなかったっけ?とか自分の顔を見上げながら聞いた。―恐ろしいくらい可愛かった。
「…そう言えばそうだったな」
心底面倒臭いと思ったけれど、白哉を怒らせると後々もっと面倒なことになる、と仕方なく連絡だけでも入れることにした。
『―恋次、貴様の役目は何だ?』
事務的な報告を適当にしていると、電話の向こうで白哉が溜息をつくのが判った。
結局怒られるのか、と聞き流す覚悟を決めた途端、いつもと全くトーンの変わらない白哉の声で恋次の耳に信じられない言葉が飛び込んで来た。
『…つまらん報告など要らん。―ちゃんと守ってやれ』
えぇぇっ!?とか思って、思わずハ、ハイ!!とか返事をしてから、誰だよ、誰のことだよ、ルキアじゃねぇよな一護のことだよな?いつからバレてたんだ?と恋次は真っ青になった。
「恋次、―白哉、なんて??」
「―おまえをちゃんと守ってやれって…」
「はぁ?何それ?逆じゃねえの?」
女神サマはさらっとヒドイことを言ってケラケラと笑った。
もう何時間経ったのだろうか、と恋次はぼんやり思った。
激しい戦いで怪我こそ無かったものの、極端に霊力を消耗した一護を家まで連れて帰ってベッドの中に入れてやったのは何時間前のことなのか―‥もう随分前のことに感じた。
一護は悪ィ、とちょっとだけ笑って一言だけ呟くと―あとは死んだように眠ってしまった。
早々に役目が終わった恋次だったが、彼を放って帰れずに眠っている一護をただぼんやりと見ていた。
一護が気配に気付いて目を覚まさないように―呼吸する音ですら一護の眠りを妨げているような気がして、可能な限り部屋の隅に寄って恋次は息をひそめた。
本当のことを言うと―恋次は一護が好きだった。友人としてとかではなくて、いわゆる「そういう意味」で。
もちろん、男同士であることを筆頭に様々な障害から伝えたことはないけれど。
一護は俗に言う底無しというやつで、限界を知らないタイプだった。普通の死神が五十年くらいかけて到達する域に辿り着くまで半年もかからなかった。
生まれ持った才能とひたすら強さを追い求めるその性格―ルキア奪還の際必要に駆られてという理由もあるけれど。
それは階段を駆け上がるなんていう生易しいレベルではなく―まるで背中に羽でも生えていて一瞬にして飛んできたみたいに。
もちろん一護のそれは才能だけではない、血を吐くような特訓のもとに壁を突破してきたことを知っている。
彼の母親の話を少しだけ―‥聞いたことがあるけれど、そのせいもあるのだろう。とにかく一護は、自分を犠牲にしてでも他者を命懸けで守る性格だった。自分よりも他人が傷つくと痛いという典型的なタイプで―自分のことは本気で省みなかった。仲間も家族も見知らぬ他人も―‥誰でもかれでも平気で抱え込んで、それでも何でもないみたいにしゃんとしていた。
己の手を血で汚してボロボロになっても、常に強さを求めていた。そして実際鬼か悪魔のように強くなった。
どんなに返り血を浴びてもますます白く輝く一護は恋次の目には天使のようにも見えた。こんなにも強い光を放つ存在を恋次は今まで見たことが無かった。こんなことを考えるなんて自分でもかなりどうかしてるとは思うけれど―神聖な存在だと思った。
そんな一護の姿が本気で綺麗だと思って―気がついたら好きになっていた。
いつからなんて知らない。本当は初めて会った時からかも知れない。一護を知って恋をしてしまった以上―もう彼を知らなかった頃には戻れないしその感情に気付かないフリをすることも出来なかった。
戦場を駆け回るオレンジ色の髪の毛と翻す死覇装が空に溶けるようなその光景はぞっとするほど美しくて―しばしば戦いの最中でも目を奪われた。願わくば自分が一護の相手になって彼の刃で息絶えたいと思うくらいだった。
暗い部屋ではぁ、と溜息をつきそうになって恋次は慌てて口を押さえた。
こんなに長く死神として生きているのに、自分には彼を守るだけの強さがない。生き急ぐみたいに戦い続ける一護に自分がしてやれることなんて何もなかった。
一護はまだ15だか16だか―ともかく自分からしたらほんの子供にすぎないのに。
さっきここに運ぶために抱き上げた身体は羽根みたいに軽くてぎょっとするくらいで―守ることが出来ないのならいっそ手足を繋いでどこか戦いなんかとは無縁の場所にずっと閉じ込めておけたらいいのにとか、出来もしないくせにそんなことを考えたりする。戦っている一護を好きになったのに矛盾しているとは思うけれど。
もっともどこの誰がどんな方法で止めたところで―まるで己の進む道が見えているみたいに、一護は修羅の道を歩むだろう。そうしてもっともっと強くなることは誰の目にも明らかで、それは勘でも予想でも憶測でもなく―殆ど歴史と言ってしまってよかった。
そうして現存する死神の誰よりも強く―たぶん尸魂界の頂点に君臨するくらい…うっかりすると人知を越えるようなレベルまで辿り着いてしまうかもしれない。
そのかわり―考えたくもないけれど、彼がその過程でその命を失ってしまう可能性も多いにあった。
彼は自分の傷になんか構わないし、自分の傷である以上は痛まないから。きっと致命傷を負っても痛覚なんてまるで無いものみたいに―笑って死んでしまう。
一護は絶対に限界を認めたりしない。いつも前しか見ない。もう駄目だという時が来ても、もう駄目だとは決して思わないだろう。認めて―諦めてしまったらそこで全部終わるから。―彼の背負っているものが全部。
そこにどんな絶望があっても、どんな地獄でも、どんなに死の影がチラついても―‥だからこそ今まで何度もおおよそ不可能とも思える相手から勝利をもぎ取って来た。
黒崎一護はそういう男だと―恋次がいちばん良く知っている。止める術は無い。―止める権利すらも無かった。
―恐れている、と思った。一護が倒れるその時を、今まで味わったどんな恐怖よりも強く。
いつかのルキアの時のように抱いて逃げられたらいいのに。―この世の果ての、ずっと先まで―‥
頭を振って、ふと時計を見ようと顔を上げたが―真っ暗でまったく見えなかったので、恋次はフラフラとそれに近付いた。
何とか読めるところまで寄って行って、一護が眠ってから3時間ほど経っていることを確認してからまた部屋の隅に戻ろうとすると真下に一護の顔があった。時計を凝視しているうちにベッドに近付いてしまったらしい。
眠っている時も眉に皺を寄せた難しい顔をしているのかと思ったけれど、意外と無防備な寝顔だったので恋次は少し安心した。
「…」
もちろん、一護に触れたいという気持ちも―ずっとあった。…あったけれど、あんまり一護が高潔で真っ白で真っ直ぐだったから―‥自分のそんな欲望は一護を汚してしまう気がして、いつからか考えることすらも放棄してしまった。
疲れ切って眠っている今の一護をどうにかしようと思えば、自分にだって簡単に出来る。そのくらい判っていたし今までにチャンスがないわけでもなかった。けれど、そんなことは考えるだけでも大罪のような気がした。
「…んじ?」
うっかりまた溜め息をつきそうになって、恋次が急いでくるりと踵を返した瞬間。
耳に刺さるか細い声に驚いて振り返ると、微かに瞳を開いてこちらを見ている一護と目が合った。
「恋次…ついててくれたのか…?」
「…あぁ。悪い、起こしちまったな」
恋次は一護のベッドのそばに腰を降ろして返事をした。
「…随分消耗してたから心配でな」
あんまり無茶するんじゃねぇよ、と刺激しない程度に努めて優しく頭を撫でた。
いつもの一護なら怒るだろうな、と思ったけれど今日の彼は弱っているせいか―むしろ妙に嬉しそうにふわりと笑ってサンキュ、とか小さな声で言った。
「一護…」
そんな儚げな笑顔を見ていたらたまらなくなって、恋次の口唇からポロッと言葉が零れ落ちた。
「夢だと思って忘れてくれて構わねぇが―‥俺はおまえが好きだ」
「―!!」
半分寝ぼけていた一護の瞳が驚きで見開かれたのが判ってあぁしまった、と思ったけれどもう遅い。
それにこの調子なら、明日になれば夢でも見たんじゃねぇの―で済むだろうと判断した恋次はずっと考えていたことを言ってしまうことにした。
「…心配すんな、別にヘンなことしたいって言ってるわけじゃねぇんだ。ただ…」
「…?」
「おまえを守ってやりたいのに―何もしてやれない自分が情けなくてな…。おまえはこんなに幼くて小さくて―それでもこんなに強くなったのに…」
「…」
「俺は誰よりもおまえを愛してるつもりなのに無力で…おまえの為に何も出来ることはねぇのかなって…」
そこまで言ったら一護は猫が飛び上がるみたいに勢い良く起き上がった。
大きな瞳をもっと大きくして、射殺す勢いでこちらを凝視している。
「恋次…本当?俺のこと好きってホント???」
一護は自分の話の要点はまったく無視して、ただ「その」部分だけを声を震わせて聞き返した。
流石に様子が変だなぁ、とか呑気に思った瞬間―まさか、と思った。
今まで恋次はその可能性は全く―いっそ潔いほどに考えていなかった。
男同士だし死神と人間だしその他諸々―どう考えても有り得ないと思い込んで、可能性すら想像したことも無かった。
「嘘でこんなこと言うかよ。―‥ってオイ一護、まさか…」
一護は夢か幻でも見てるみたいにゆっくり頷いた―‥途端、大きな瞳からボロボロと透明な涙が零れ落ちた。つまりは決定打というやつで―流石に驚いた。心臓が止まるかと思った。
「…夢みたいだ。ぶっ倒れて良かった」
一護は心底嬉しそうに耳を疑うような言葉を口にしたが、それはこちらの台詞だと思った。
「一護、おまえ正気か?…寝ぼけてんじゃねぇだろうな…」
こちらも声を震わせて聞き返さざるおえない。
一護の頬を伝って落ちる涙が現実のものじゃないくらいきれいで、目眩を抑えられなかった。考えてみたらあの一護が泣いているところなんて初めて見たのだ。
「寝ぼけてこんなこと言うかよ…」
一護はぼろぼろ泣きながら―それでも嬉しそうに笑って、そばの恋次に抱き着いた。
突然の展開にまったくついてゆけないし―そもそも問題はまったく解決していないことに気付いてはいたけれど、ともかく自分は一護をこうする権利を手に入れたのだと思って、恋次はその身体をぎゅっと抱き締め返した。見た目よりずっと細い身体を壊さないように―それでも思い切り抱き締めた。
暗い部屋でもはっきり判るくらい頬を染めた一護が自分の顔を見上げた瞬間―恋次は衝動的にその口唇に自分のそれを重ねた。
酷く甘い砂糖菓子のように柔らかくて甘い一護の口唇を暫く楽しんでからゆっくりと離すと、ぼーっとしている一護の額に軽くキスした。
「…まぁ、とりあえずもうちょっと休め。おまえ3時間しか寝てないんだよ」
「えぇっっ!??せっかく両想いになったのに??」
「…いいから。おまえ限界まで霊力使っただろーが」
「もー治った」
「…。…手ェ握っててやるから」
「それじゃ恋次がしんどいだろ…!あ、じゃあちょっと狭いけど一緒に寝ようぜ!!」
「このシングルベッドでか…?」
恋次はいかにも一人用!と言わんばかりのパイプベッドをちらりと横目で見た。
「つめれば大丈夫だって」
一護は笑顔で布団をめくり上げてホラ、と言った。
絶対に無理がある、と恋次は強く思ったがやはり一護と一緒に寝るという誘惑には抗えず、誘われるがままに彼のベッドに入った。
―が、やはり相当狭かった。(当然だ)
これじゃあいつ落ちてもおかしくない、と思った恋次は一護を抱き寄せて自分の腕の中に納めた。
わ、と一護があからさまに反応した。
「…落っこちねーようにこうしててやるから―ちゃんと寝ろ」
「う、うん…。でもドキドキして余計眠れないような…。それに寝たら夢オチとかねぇよな…」
一護らしからぬ妙な心配に恋次はちょっと笑った。もっとも当の自分もついさっきまで夢オチで誤魔化すつもりだったけれど。
「…夢でたまるかよ。それにすぐ慣れさせてやるから心配すんな」
冷たい指先に自分のそれを絡めて軽く口付けると一護はくすぐったそうに笑った。
もうこのまま―いっそ彼の全てを奪ってしまいたいと少し思ったけれど、今の今まで一護に触れないと決めていた己の理性はこんなところで役に立って、今日は抱いて眠るだけで十分幸せだった。
「一護…おまえ怖くねぇのか…?このまま…どんどん戦いの渦に飲まれて―敵がどんどん強く、大きくなって行くのが…。俺は…、いつかおまえを失ってしまったらって―‥凄く怖ぇけど」
抱き締めた腕に力を込めると、一護は物凄く意外そうな声で―そう?とか言った。
「俺は恋次がそばにいてくれたら何にも怖くねぇけど」
「―!」
何という殺し文句を平気で吐くのだろう、と恋次は思わず赤くなった。
「…で、でもよ、もうちょっとくらい自分を大切にしろ」
「俺、そんなに危なっかしい?」
「いや、おまえが強いことも簡単には死なないことも知ってるけどよ。おまえがどうっていうより、厳しい戦いばっかりだから心配なんだよ」
「そう言われてもそうそう変われねーしなぁ…。そーだ、それなら恋次が俺を大切にしてくれよ。それならいいだろ?」
「…いや、そりゃあ…もちろん大切にするつもりだけど…」
自分の言いたいことはそういうことじゃなくて、と思ったけれど一護がニコニコと自分の着物を掴んでいるのを見たら何も言えなくなってしまった。
「と、とにかく、今日は寝ろ。」
「―うん」
一護は恋次の腕の中で素直に頷くと瞳を閉じた。
何だかんだ言ってやっぱり酷く疲れていたらしく、目を伏せた途端に呆気なく眠りに落ちるのを確認してから恋次も目を閉じた。
―不思議と不安は軽くなった。情けないけれど、改めて一護は凄いなぁと思った。
神なんていないことくらい子供の頃から知っているけれど、とりあえず今は神頼みしておく。
一護に守護を、強運を―‥馬鹿みたいだと思ったけど、本気で祈ってしまった。
もっとも、一護自身が殆ど女神サマのようなものだけれど。
もしかしたら―彼がついている限りこちらは負けることは無いのかも知れない、なんて途方もないことを考えて恋次は少し笑った。
もっともっと強くなって、絶対守れるようになるから。本当に―死ぬほど大切にするから。
翌日、一晩眠っただけでこんなにも回復するのか、これが若さかと言いたいくらい元気になった一護がそういえば、おまえ昨日は一旦報告に戻るって言ってなかったっけ?とか自分の顔を見上げながら聞いた。―恐ろしいくらい可愛かった。
「…そう言えばそうだったな」
心底面倒臭いと思ったけれど、白哉を怒らせると後々もっと面倒なことになる、と仕方なく連絡だけでも入れることにした。
『―恋次、貴様の役目は何だ?』
事務的な報告を適当にしていると、電話の向こうで白哉が溜息をつくのが判った。
結局怒られるのか、と聞き流す覚悟を決めた途端、いつもと全くトーンの変わらない白哉の声で恋次の耳に信じられない言葉が飛び込んで来た。
『…つまらん報告など要らん。―ちゃんと守ってやれ』
えぇぇっ!?とか思って、思わずハ、ハイ!!とか返事をしてから、誰だよ、誰のことだよ、ルキアじゃねぇよな一護のことだよな?いつからバレてたんだ?と恋次は真っ青になった。
「恋次、―白哉、なんて??」
「―おまえをちゃんと守ってやれって…」
「はぁ?何それ?逆じゃねえの?」
女神サマはさらっとヒドイことを言ってケラケラと笑った。